ドュラグの海岸

17日にレイテに渡って以来、ボランティアイベントの準備・そしてボランティア当日を迎える為、慰霊碑巡りはお休みしていました。

12/25 フィリピンの人たちにとって1年で1番大きなイベント、クリスマスの日にタクロバンの友人がフリータに日帰りで帰省するということで、友人の実家に訪問する際に慰霊碑にも寄ってもらいました。

友人と2人でドライブ…かと思いましたが、仲のいいメンバーとピクニック気分で行きます。笑


まずはDulagのHill120にある慰霊碑へ。
Dulagはタクロバンから気軽に遊びに行ける海のようで、サーフィンのレクチャー受けることができる施設もあるようです。

Dulagの市街地までずっと海岸線を走って行きます。天気が良い日は、ジプニーのような窓のない車に乗ると気持ちいいです!
数日前にタクロバンが洪水になっていましたが、この日はドライブ日和となりました。

延々と海岸を走る
長雨によるものかそれとも人為的に削ったものか

タクロバンから寄り道をしながら約1時間半、「Hill120に到着したよ」と運転席から友人が。

車から降りてみて一瞬、
「ん??あれ、違う場所??」と思いましたが、間違いなくHill120でした。

2018.12.25時点のHill120

1年前に訪れた時はこうでした↓

2018.1時点のHill120

道路側の斜面が削られ、英語の碑文がギリギリ残されている状態です。人工的に削られたように見え、各地でされている道路拡張の予定があるのかもしれません。

ですが日本の慰霊碑は以前と変わりありません。
日米双方多くの兵士が戦死したこの場所で合唱

日本の戦没者慰霊碑
アメリカの慰霊碑

Hill120はちょっとした観光地にもなっていて、丘の上から海岸を望むことができます。この海岸や沖合からアメリカ軍の艦船がやって来たかと思うと…

丘の頂上へは日本の慰霊碑の左から
頂上の展望台からの眺め

お次はHill120からフリータへ向かう途中にある、Capt. Isao Yamazoe Shrineです。
山添勇夫氏とは当時、このドュラグの守備隊長を務めていた人です。公平で親切であり地元住民に慕われていました。山添大尉はゲリラとの戦闘で戦死しますが、この慰霊碑が戦後、地元住民によって建てられました。
(山添大尉のエピソードについて書かれている記事 : セブ島通信 Vol.155 2016年11月号)

悍ましい出来事が数多ある中で、こういったエピソードもあったと、知っていくべきと感じました。そして悪い出来事も、良い出来事も全て理解した上で、個々がどう感じるのかが大切なのでは。


そう考えているうちにフリータの町に到着しました。
友人のお家で昼食を頂くのですが、その前に散策へ。のどかな町です。

Julitaの町
地方では犬や猫が放し飼いされていることがしばしば

友人の家族との時間を過ごし、タクロバンへ戻る前にブラウエン・ダガミにも寄ってもらいました。

平和の碑(静岡県)
第一一四飛行場大隊終焉之地
平和の塔
ブラウエンの中心部

第一一四飛行場大隊の碑は小学校の敷地内にあるので、休日・祝日は入れません。前回訪れた時も傾いていましたが、心なしか文字が薄くなっているような気がします。

ダガミへ向かう頃には大分陽が傾いていました。


ダガミにある「英霊碑」はダガミの役場敷地内(警察署の裏)にあります。
今回ダガミ出身のメンバーも同行いていて、通訳してくれました。レイテの小さな町では英語を話せない人が多く、一緒にいてくれるととても心強い!

英霊碑
ダガミ町役場のゲート

友人の実家はこの近くですが、日本人の慰霊碑の存在は知っていませんでした。レイテの若い人は「レイテ島の戦い」について詳しく知る人はほとんどいないようでしたが、今回一緒に慰霊碑を訪れたメンバーの中でも、興味を持って調べてみたメンバーもいます。

『関係ない人』はいない。
誰しも何かしら関わりがあり、興味を持つきっかけは大いにあると思います。

その”きっかけ”と現地を繋ぐのがこのウェブサイトの役割なのかなと、帰りの車内で考えていましたが、、、

なんと車のブレーキが故障!!

クリスマスなので小さな町の修理工場やガソリンスタンドは全て閉店、修理できる人も見つからず…
おまけに暗闇の中オイル漏れで排気ガスは真っ白になるわ…

しかし、通常1時間の距離を3時間以上かけて無事タクロバンまで戻りました。


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