静岡県東部 三島市の 玉澤妙法華寺境内に建立されている、重巡洋艦「愛宕」、駆逐艦「朝霜」「梅」乗組員の戦没者慰霊碑を紹介します。

慰霊碑の所在

住所:静岡県三島市玉沢
座標:35°07’27.5″N 138°57’47.7″E

1. 軍艦愛宕戦歿者之碑

慰霊碑建立の経緯

 軍艦「愛宕」は。重巡洋艦(壱万屯)で戦時中は第四戦隊の旗艦として活躍し、昭和十九年十月二十三日、比島パラワン島沖の回線で不運にも轟沈せり。乗組員(司令部付を含む)一一九七名のうち戦死者四八四名、その折り救援の駆逐艦「朝霜」が四百九二名同じく「岸波」が二二一名救出せり(戦闘詳報より)駆逐艦朝霜は昭和二十年四月七日沖縄特攻部隊として出撃中、敵機三十余機と交戦、武運拙く第二一駆逐司令小滝久雄大佐、艦長杉原与四郎中佐以下、三二七名の将兵は九州南端沖に護国の鬼と化し、悲惨、艦と共に轟沈。全員戦死せり。駆逐艦朝霜戦没者慰霊碑の建立は三島市中央町高橋実衛氏(錦店)の父晋吾氏が五男通夫氏も朝霜で戦死したので、子を想う親として同憂の全国の朝霜戦没者遺族に呼びかけ、先達となり全国を行脚し、尚私財を投じ戦没者の冥福を供養する為に玉沢の聖地に、昭和三十二年春建立したものである。

 毎年命日には遺族会長小滝国雄氏(故 小滝司令息子)のもと全国より遺族が碑前で慰霊祭を行っておるがその祭事を地元海軍出身者の集いである海軍会員が協賛し、厳粛盛大に行っており、時候的に玉沢は桜花咲き乱れ好時期であり桜花の如く散りし戦没者を想い同じ海軍にありて運よく達者である事を感謝しつつ戦没者のご冥福を祈念し祭事に奉仕しておる三島地方の出身者海軍会であります。

 この事を軍艦愛宕元乗組員が知り愛宕沈没の折り身を悌し救助に活躍した駆逐艦朝霜の英霊の碑前で先年軍艦愛宕戦没者三十三回忌法要を愛宕生存者と遺族の有志により海軍会員多数列席佛式により厳粛に施行し併せて朝霜の英霊に従事に謝しつつ御冥福を祈念した。その折愛宕戦没者慰霊碑建立の議を決し、妙法華寺の御理解を得て駆逐艦朝霜の碑と並びに建立する事が決り愛宕関係者や海軍出身者その他各界の協賛を得て昭和五十五年十月二十三日建立されました。

 敵味方入り乱れての激戦の最中沈没寸前に救助された生存者の感謝が朝霜の英霊に答えるや如く愛宕戦没者の慰霊碑が建立された事は、戦後三十余年を迎え遅ればせながら両艦の偉勲をたたえると共に、慰霊と御供養になることを信ずるものであります。

 願わくば、此の慰霊碑建立によって永年に平和を願い戦争の悲劇を再び繰り返さないよう楯となっていただき祖国日本をお守りくださることを念願してやまない次第です。
 このようにして由緒深い玉沢の妙法華寺境内に大東亜戦の生んだ海軍の遺跡が生現した次第であります。

昭和五十五年十月二十三日
三島田方駿東海軍会

2. 駆逐艦朝霜戦歿者之碑

駆逐艦朝霜の戦歴

 駆逐艦朝霜は大東亜戦争中 帝国海軍第二艦隊第二水雷戦隊に所属し、太平洋海域の主要作戦に参加、奮闘した。
 昭和二十年四月六日、戦艦大和ほか九隻で水上特攻隊を編成し、米軍による沖縄侵攻を阻止するため、同地に向け 三田尻沖を出撃し 四月七日正午頃 九州南西方面海域において敵機多数と交戦、奮闘するも力及ばず、旗艦 大和 宛て

「我、敵機 三十機と 交戦中」

との電報を最後に 十二時十分頃 同海域に沈没、乗組員全員三百二十九柱は 艦と共に 壮絶な最後を遂げた。
 ここに同艦の赫々たる功績を称え、戦没者諸柱の鎮魂のため、此の碑を建立する。

一、建造

竣工 昭和十八年十一月二十七日
場所 藤永田造船所(大阪)

二、要目

排水量 二、〇七七 屯
全長 百十七米 全幅一〇・八 米
吃水 三・七六 米
主機 蒸気タービン二機二軸
出力 五二、〇〇〇 馬力
最高速力 三十五 節
装備 主砲 十二・七糎 二連 三基
   魚雷 六十一・〇糎 四連 二基
乗員 約三百名

三、戦歴 (参戦した主要な作戦)

あ号作戦(マリアナ沖海戦)
捷一号作戦(レイテ沖海戦)
多号作戦(オルモック輸送作戦)
礼号作戦(ミンドロ島沖作戦)
天一号作戦(沖縄突入作戦)

跋文

 「駆逐艦朝霜戦没者之碑」は昭和三十一年 同艦沈没時、艦と運命を共にした乗組員僧院の鎮魂のために建立された。
 「駆逐艦朝霜戦没者之碑」の建立にあたっては朝霜会地元世話人 髙橋晋五殿の並々ならぬ御苦労があった。
 三島市玉澤の聖地に立つ此の碑を心の拠りどころとして爾来三十数年に亘って遺族と元乗組員から成る朝霜会は、毎年一回此の地に集い相互に親交を深め励ましあって戦後の荒波を乗り越えてくることができた。
 此の度、北海道亀田郡七飯町の遺族 森本絹子殿は篤志を以て英霊の供養のため本戦歴碑を寄進された。

平成二年四月七日 駆逐艦朝霜会一同

3. 駆逐艦梅戦歿者慰霊之碑

艦歴

昭和一九

(四.二四) 大阪藤永田造船所にて進水
六.二 竣工 第十一水雷戦隊に編入
七.一五 桃と共に第四十三駆逐隊を編成
七.二〇 内海西部にて訓練に従事
八.二〇 第三十一戦隊に編入
一〇.一二 台湾沖航空戦に参加
一〇.二三 多号作戦一〇二師団レイテ西岸オルモック上陸作戦掩護
一一.三 人員機材を台湾に緊急輸送
一一.六 戦艦伊勢 日向 五十鈴 新南郡島進出の為護衛任務に従事
一一.一四 戦艦大和 長門 金剛 内地回航の為護衛任務に従事
一一.二五 単艦にてブルネイ方面に進出
一二.二 南西方面艦隊(マニラ)指揮下に入りマニラに回航
一二.五 多号第八次オルモック輸送作戦に従事
一二.一四 マニラ湾にて敵機動部隊の艦載機と交戦 艦首へ至近弾を受け揚錨機作動不能となる
一二.一五 修理の為香港に回航

昭和二〇

一.一五 香港々内にて米機動部隊艦載機五〇機と交戦 三機撃墜
一.二九 台湾高雄港にて米機動部隊艦載機と交戦
一.三一 比島アパリ集結中の搭乗員救出の為 パトリナオ輸送作戦実施の為 高雄を出港 バシー海峡にて敵機約三〇機の来襲を受け之と交戦 被弾三発後部甲板切断沈没 敵一機撃墜(一八時一〇分)
戦死者八〇余名 東経一二〇度五〇分 北緯二〇度三〇分

茲にて短命なりと雖(いえど)も 梅の輝かしい戦績を讃え 勇敢に戦い悠久の大義に就いた戦友の霊を慰むる為「梅」ゆかりの地 三島玉沢木山妙法華寺霊峰富士の万年雪溶けて流るる神霊地に 此の碑を建立す

昭和六十一年一月三十一日(四十年目命日)
駆逐艦梅慰霊碑建立委員会


訪問手段

■ 車

三島市内から15分、伊豆縦貫道 三島玉沢ICから2〜3分程度

■ バス

① 三島駅南口ロータリー 5番乗り場にて「玉沢」行きのバスに乗車
三島駅南口ロータリー 5番乗り場
時刻表(2021.4時点)
② 終点の「玉沢」にて下車、玉澤妙法華寺 を右手に見ながらバス停より200M程車道を進む
③ 「玉沢霊園」の看板右奥に慰霊碑が建立されている
※ なお、玉沢=三島駅間のバスは1時間に1本、時間帯によっては次発が2時間後という場面もある。乗り遅れないよう注意。

バス停「玉沢」時刻表(2021.4時点)

【地域毎の慰霊碑】

● レイテ島

● ルソン島

● セブ島 

【書籍】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です