Tacloban New Transport Terminal

2018年末に最後訪れるのは、レイテ島の戦い最大の激戦地『リモン峠』です。

オルモックが制圧されるまで1ヶ月以上、アメリカ軍の進行を食い止めていた地域で、北側の峠の頂上には第一師団の慰霊碑があります。

今回はリモン峠周辺にある3カ所の慰霊碑を巡ります!


いつものようにジプニーを乗り継ぎ、Tacloban New Transport Terminal(通称:New Bus Terminal)からオルモック行きのバスに乗って行こうと思ったのですが、、、

がらんとしているバスターミナル

オルモック行きのバスが無い!!

オルモックどころか、ブラウエンや南レイテ行きのバスも無い。あるのはサマール島やマニラ行きのバス、そして乗合バンのみ。

これまで多少配置が変わることはあっても、便が無くなることはありませんでした。

もしかしてバス会社が潰れてしまったのか? と思い近くの人に聞いてみると、

「 ああ、マラスバラスのターミナルに移動したよ 🙂 」

マラスバラス/Marasbaras はタクロバン市の地区の一つで、大きなショッピングモール「ロビンソン」のある地域です

とのことで、「マラスバラスにバスターミナルあったか??」と疑問を持ちながらも、とりあえずリモン峠へ向かうことにしました。幸いレイテ各都市行きの乗合バンは残っていました。

リモンという地名はバランガイ(最小行政区)の名前で、カポーカンという町に属します。

3カ所の慰霊碑はカポーカン町内のリモン地区と隣のサンジョークン地区にあり、ハイキングによく行く方であれば、1カ所目から3カ所目までを歩いて訪れることができる程の距離です(しかし犬が吠えてきて襲われそうになり危険ですので乗り物に乗ってください)。

タクロバンから日帰りということで、まずは一番オルモック側にある『工兵碑』へ

工兵碑(Capoocan)
工兵碑(Capoocan)

目印が無くカーブの内側にあるので見落としやすい慰霊碑ですが、GPSを頼りに訪れることができました。南側の峠の頂上より少し手前のようですね。
苔が生えていますが、1年前と変わりないように見えます。

合掌。


工兵碑からタクロバン側へ山を降り、サンジョークン地区の中心部へ。鎮魂 の慰霊碑はバランガイホール(地区の役場)の裏手、少し奥にあります。

鎮魂(砲一会)

「フィエスタ」というお祭りが開催中(?)のようで、いろいろな方向から音楽が聴こえてきます。昼間からお家に人が集まりパーティーをしているのが見えました。

サンジョークン地区中心部

『かつて多くの命が失われた場所』

慰霊碑の存在を知らなければ、こんな楽しそうな声のする場所でなんて、なかなか想像できないと思います。


鎮魂 の碑からバスで、”ブレイクネックリッジ” と呼ばれる北側の峠の頂上へ。

ここには第一師団の慰霊碑など、複数の慰霊碑が建てられています。建屋の入り口は施錠されていたはずですが、破損によるものか扉が開いたままになっていました。

第一師団副官だった松本實さん、御歳98歳になられているはずですが、近い日に訪問されたのでしょうか。真新しい塔婆がありました(写真中央左側)。

リモン峠は、早ければタクロバンから1時間弱で来れる場所です。タクロバン – オルモック間も早ければ2時間かからない程で、思ったよりもレイテ島は小さい島です(面積は熊本県と同じくらいです)。


リモン峠からバスに乗ってパロまで戻ってきました。パロの中心部で下車し、パロ市役所敷地内にある “日米豪比の慰霊碑” へお祈り。

パロ市役所

のはずでいたが、年末で市役所が閉まっていて敷地に入れませんでした…
慰霊碑は敷地の角にあるので、敷地外から合掌。

2018.12.30敷地外から撮影
2018.1正面から撮影

市役所の隣にある “パロ大聖堂” は開いていました。


ここからトライシクルやジプニーに乗っていけば良いのですが、年末で賑やかな街の雰囲気を味わおうと、マッカーサー・ランディングメモリアルパークまで歩いて行きました。

公園入り口
記念碑碑文

マッカーサーが上陸した10月20日に、このメモリアルパークで毎年記念式典が行われています。

レイテ湾を眺めながら “何が正しかったのか” 思いにふけます。

簡単に分かるものでもないし、そう簡単に口にするべきことでもないですが

二度と繰り返さないように、忘れないように

やれることをやるのみです。


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