米軍制空権下において、地上のみならずレイテ島への海上輸送(多号作戦)においても米航空機による多大な被害を受けており、戦闘継続に必要な兵員・物資の輸送が困難となっていた。そこで一次的に制空権を確保する為に、空挺部隊による「テ号作戦」、地上部隊による「和号作戦」が計画される。これらはレイテ島東側の飛行場攻撃し航空機の破壊・米軍の飛行場使用を妨げるものであった。ルソン島から主に高砂義勇隊からなる「薫空挺隊」や第二挺進団(高千穂部隊)が、ブラウエン飛行場奪還に参加し、レイテ島地上部隊からは第16師団残部及び第26師団が担当する。
本記事では、第26師団の中でブラウエン飛行場へ斬込みを行った独立歩兵第13連隊が第三大隊の動向について記載する。

ブラウエン斬込み準備

第二十六師団命令


11月11日 第26師団司令部からブラウエン斬込み準備の為出発し、11月4日出発の小泉中隊(第102師団/学徒兵将校を主に200名程度)の掌握、山中の第16師団と連絡すべしとの命令を受ける

泉作命甲第二号 第二十六師団命令(十一月十一日〇四五〇 ドロレス)


三、重松大隊は12日夕発東進し、小泉中隊をあわせて進出掩護、斬込み準備と第十六師団との連絡

五、工兵連隊は「オルモック」=「アルベエラ」=「ブラウエン」道を野砲道に啓開
六、独立工兵第六十五大隊と第百二師団の工兵中隊は「イピル」に集結

第三大隊行軍


11月12日 夕方 イピルを出発しアルブエラ方面へ海岸線を南下、マリトボよりタリサヤン川南岸を東進する

11月15日 山中のマホナグへ至る

11月20日 ルビ南東2km地点へ至る

11月22日 ブラウエン西方10kmの287高地へ進出、地形・敵情偵察を行いながら第26師団主力を待つ/既に交戦が始まる

287高地と思われる場所

第二十六師団主力を待つ


11月25日 工兵部隊による野砲道啓開がマリトボ-カパトガン東北約6kmまで終える/同27日 ルビまで完成

11月26日 マタグパ東方へ進出/小泉中隊を掌握

11月28日 報告「マタグパ方面に敵86師団進出しあるが如し」/第35軍が『和合作戦』下達

11月29日 報告「マタグパ西方に侵入せる敵の一部を殲滅せり」

(12月 1日 第26師団主力がマリトボ出発)

マタグパ

米軍の飛行場放棄


 レイテ島は例年より降雨量も多くブラウエン飛行場は泥濘み使用しづらい為、米軍は東海岸のタナウアンに飛行場を建設。ブラウエン飛行場群は「和合作戦」開始前の11月23日(サンパブロ)、同月30日(ブリ・バユグ)に放棄されていた。その為同飛行場には、主に観測機や連絡機が置かれていたのみであった。日本軍は米軍の飛行場放棄に気付かず、作戦を実行してしまう。

12月3日時点の所在


■ 第26師団司令部:ルビ

■ 重松大隊(独立歩兵第13連隊第三大隊)
205高地付近を進出中/6日に40組の斬込み隊を投入予定

■ 工兵第26連隊長 品川中佐指揮する小隊:287高地

■ 野中大隊(歩兵第77連隊を基幹とした集成部隊)
04:30ルビ/15:00 287高地到着

■ 井上大隊(独立歩兵第12連隊第二大隊)
夕刻 ルビに到着予定

一方、米第511空挺連隊はブラウエンを発ち重松大隊を警戒しつつ同大隊の北方高地を西進、12月8日ルビへ至る

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ブラウエン斬込み・転進

12月6日決行


未明 第16師団の残部隊がブリ飛行場へ斬込み/午前中に飛行場の半分を制圧するも夕刻には半数が北部へ圧迫される

18:40 第2挺進団(高千穂部隊)の先発を載せた編隊がサンパブロ飛行場上空に到着/大部分(250~300名程度?)がサンパブロ飛行場へ降下、白井少佐以下60名程度がブリ飛行場へ降下

夕刻 重松大隊(独立歩兵第13連隊第三大隊)は「予定通り突入」の電報を第26師団司令部へ送信し、飛行場へ斬込み

12月7日 朝 第16師団・高千穂部隊がブリ飛行場を制圧するも米歩兵第382連隊、第149連隊など援軍が到着し、ブリ飛行場西方へ

ブリ飛行場付近より脊梁山脈
サンパブロ飛行場付近

12月8日 反転命令


12月7日 米軍のオルモック近郊へ上陸/和合作戦を中止し、12月8日 第35軍より第26師団へ以下の指令が出る

■ 一部によりブラウエン南西6kmの隘路を抑えて軍司令部の転進を援護
■ その後、速やかにオルモック平地へ転身し上陸中の敵部隊を攻撃
■ 第16師団残部の収容

転進


12月10日 第26師団主力は野中大隊を先頭に隘路へ進出

12月18日 マタグパ東北4km地点にて重松大隊は高千穂部隊と遭遇・合流

12月22 野中大隊と287高地にて合流/〜28日 同地にて戦闘を行う

12月28日夜 高千穂部隊に続き師団司令部および井上大隊が287高地を出発、重松大隊も転進を開始する

… 以下、第26師団主力と行動を共にしたと思われる。

自活戦闘


ドロレス、ナグアン山を経て2月初旬にカンギポット山着

2月10日 第26師団は自活地域のシラッドへ

4月10日 第三大隊第10中隊 山本中隊長 戦死

6月10日 重松大隊長 自決

シラッドの海岸

第26師団の自活地域であったシラッドの民家に木製の慰霊碑が建立されましたが、倒壊しており2019年3月に埋設されました。


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独立歩兵第13連隊(泉5316) .1 – レイテまで
独立歩兵第13連隊(泉5316) .2 -アルブエラ方面(斎藤支隊)
●独立歩兵第13連隊(泉5316) .3 -ブラウエン方面(第三大隊) ←本記事

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