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1月7日から2泊3日でレイテ島西部の慰霊碑巡りへ、リモン峠・オルモック・ビリヤバ ・アルブエラを訪れます。
1日目はタクロバンからリモン峠、そしてオルモックへ。

Tacloban New Transport Terminalからバスで向かいます。
リモン峠までは40ペソ(100円程度)と格安ですが、エアコンは無く窓を全開にして走行します。ただ、ブラウエン行きと違いシートはあります(ブラウエン行きは木の板に座っているようでした…)。

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まずはリモン北側の峠頂上にある、ブレイクネックリッジへ。
ここには第一師団の慰霊碑を含め多数ありますが、2016年の渡航と比べ、慰霊碑を取り囲んでいる建物の扉部分が破損しています。慰霊碑には異常はないように見えます。

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リモン峠頂上付近では、先月の台風で大規模な土砂崩れが発生しました。まだ完全に土砂が撤去されておらず、片側通行のままになっています。

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片側交互通行の交通整理は、子ども達が大人のお手伝いとして行なっていることも。合法では無いと思いますが、楽しそうにこなしています。

ブレイクネックリッジから降りた、リモン地区の集落で今回も昼食休憩。ここにはアンドックスというファストフード店や小さなお店が並んでいます。

鎮魂(砲兵第一連隊)

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砲兵第一聯隊の慰霊碑です。
野砲は偵察によって相手の場所が特定できてこそ発揮できるものですが、偵察機もなく数でもアメリカ軍にはるか劣っていました。それでまともに戦えたのでしょうか。

工兵碑

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道路や陣地の構築、破壊工作など前線部隊ではありませんが、工兵第一聯隊690名は全員戦死とされています。もうぐちゃぐちゃですね。

慰霊碑のそばにある家具工房では、慰霊碑を訪れた日本人の記帳するノートが保管されています。記帳されているだけでも2017年に40名以上の 人が訪れていました、思ったよりも多くてびっくりです。  

ブレイクネックリッジから工兵碑まで歩いて行きましたが、道は1本のみで、密林と崖。アメリカ軍が攻めあぐねるのも想像できます。

コンクリートハウス

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リモン峠から再びバスに乗りオルモックへ。宿にチェクインの後に市街地の北側にあるコンクリートハウスへ。

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リモン峠へ至る街道の入口にあったこのコンクリート製の建物。
リモン峠の部隊が挟撃されないように死守は必須。激しい砲撃の跡は現在でも残っています。本当に恐ろしい戦闘の跡です。

ここは前回の訪れた時よりも建物が崩れかかっている箇所があり、また大きな地震がきた場合無くなってしまうのではと思います。

今回はタクロバンからオルモックまで、バスの移動でした。
普段は外国人と気づかれないのですが、リモン峠の頂上で降りるということで乗務員に日本人と気づかれました。

でもそのおかげで乗務員が「大丈夫か?」と気遣ってくれたり、 「前の席の方が降りる場所が見やすくていいんじゃないか」とか、「 場所になったら止めるから」、とか みんな世話を焼いてくれました。
本当にありがたい。

(北朝鮮の脅威は話題になりますが…)慰霊碑に訪れるたびに日本は平和だなと感じます。
平和だからこそ日本が戦争をした時代に興味を持って欲しい。
あと2日慰霊碑を回ります。9日はは玉砕の地カンギポットヘ登ります。