マンダレーから150km程南にあるメイクティーラ(メイクテーラ)では、防衛戦、陥落してからの奪還戦が行われていました。
今回はイギリス軍の渡河地点のバガン(ニャンウー)から、メイクティーラへ向かいます。


バガンからメイクティーラへはミニバンで向かいます。恐らく観光地のインレー湖行きの便で、平原や丘陵地帯を通り、バガンからは4時間程で着きました。

バガン滞在中に脱水症状になってしまい、体調が優れず昼食休憩でも食事を取ることができませんでしたが、
同じくバガンから乗ってきたミャンマーの方が、それまで会話もしていなかったのに、「効くから」と果物とカリカリ梅のような物をわざわざ買ってきてくれました。それでいて “My Pleasure”(役に立てて嬉しい)なんて、素敵だなと思います。

昼食休憩場所

昔から交通の要衝と言われるメイクティーラ。
街中で外国人観光客を全く見かけることが無く、ローカルの賑わいがあります。大通りにはホテルもありますが、ネット上にはほとんど載っていません。

寺院関係の施設のようでした

メイクティーラでは、シュエ・チャウン僧院の慰霊碑と、日本ビルマ平和パゴダを訪れました。

シュエ・チャウン僧院に訪れた時には太陽が大きく傾いていました。僧院の広場では、小学生ぐらいの、僧院に入り修行をしている子ども達がサッカーボールで遊んでいました。

ミャンマー語はさっぱり分からないのでどう伝えようと思いましたが、子ども達は目的が分かっていたようで、慰霊碑の場所へ案内してくれました。

日本ビルマ平和パゴダ

イギリス軍の戦車に対抗する十分な装備が無く、それでもメイクティーラ奪回、と多くの戦死者が出ました。
メイクティーラでの戦闘があったのは1945年3月1日〜末。東京大空襲(下町空襲)は3月10日、硫黄島の戦いが終結し沖縄の地上戦が始まったのが3月26日です。

メイクティーラ湖畔
シュエ・チャウン僧院付近の住宅街


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