前日ミッチーナー行きのバスが予約できたので、マンダレーには1泊のみの滞在です。2回お世話になったスタッフ達とも別れチェックアウト。
バスの出発時刻は午後7時半なので、市内のカフェでしばらく作業。
おそらく”街”と呼べる規模の場所では、綺麗でWifi完備のカフェはあると思います。少なくとも今回訪れた街にはありました。
宿にWifiが無い場合や、ミャンマー料理が食べれない人は、カフェを活用するのも手です。
しばらく作業した後に、バスターミナルへ。
ヤンゴンよりも規模は小さいものの、やはりバス会社を見つけるのに苦労します。
ヤンゴンではVIP専用の待合室がありましたが、マンダレーのターミナルではどの会社も無さそうでした。
バスの出発時刻になり、乗務員に呼ばれバスの停車場所へ向かいます。
ミャンマー各地への夜行バスが停車しているので、見失うと大変です。
出発前に、途中で検問がある為パスポートのコピーを取られました。
午後11時頃のトイレ休憩
翌日9時ごろ朝食休憩の為、再度停車しました。
ミッチーナーまでは未舗装の部分が多く、バスが大きく揺れる山道が続きました。途中の小さな町で人を乗せたり降ろしたり。また、検問ではパスポートとミッチーナーでの滞在先を確認されました。
マンダレーから15時間ほどでカチン州ミッチーナーへ着きました。大した距離ではありませんが、未舗装の山道でしたので11時前の到着です。
バスターミナルは市街地の外れにあるので、バイクタクシーで市内のホテルへ向かいます。
ホテルで少し休憩し『招魂之碑』へ。
碑は寺院「スータウンピー・パヤー」敷地内、寝釈迦仏付近にあります。この寺院は大戦で亡くなった日本人とミャンマー人を弔う為に、日本人の寄付によって建てられました。
ミイトキーナ(ミッチーナー)周辺では1944年5月17日から戦闘が始まり、ミッチーナー守備の指揮官水上少将は “ミッチーナー死守” の命令に背き8月2~3日の夜間に部隊を渡河・退却させ、水上少将は責任を負い自決されました。
また、ミッチーナーが制圧された8月3日の翌月、9月7日拉孟・9月14日騰越守備隊玉砕
以降遅滞戦術を続けるも、1945年1月27日陸路での援蒋ルートが回復しました。
今回は外国人の入域許可申請の不要なミッチーナーへの滞在でしたが、いずれフーコン渓谷や可能なら立入の制限されている国境付近、中国側の拉孟や騰越へも足を運ばねばと思います。
【今回訪れた場所】
- 招魂之碑