レイテ西部の慰霊碑巡り2日目、オルモックの南、アルブエラにある “第二十六師団戦没者慰霊碑” へ。
かつて荷揚げの基地があったオルモックを南から攻めるアメリカ軍に対し、日本軍はパラナスという場所で川や丘を利用した陣地で対抗しました。
このパラナスの丘に第二十六師団の慰霊碑があるとのことでしたが、前回の渡航でも丘に登りましたが見つかりませんでした。
パラナスの丘があるのはアルブエラの南部、バイバイとの境に近い場所です。オルモックからアルブエラ方面のバスに乗って行きました。
降車場所の目印は、フィリピン人慰霊碑です(上地図)。
フィリピン人の慰霊碑の後方にあるのが、パラナスの丘です。
ここからオルモック方向へ200M程戻った所にパラナス川があり、当時この周辺で戦闘があったと思われます。丘の周辺は田んぼが拡がっていて、排水溝の縁を歩いて丘へ向かいます。
丘のふもとで農作業をしていた夫婦に話を話を聞くと、丘にはオーナーがいるようで、「あの赤い服を着ているのがオーナーだよ、呼んでくるね」と遠くの田んぼに見えるオーナーへ。
オーナーも農作業中でしたが快く引き受けてくれました。そして丘を登って行きます。
丘の頂上への道などありませんでした。草を掻き分けただ登ります。
頂上に着きましたが慰霊碑らしき十字架がありません。
すると、「ここにかつて慰霊碑があった」とオーナーが言いました。
言葉が通じず100%の信頼性はありませんが、身振り手振りで教えてもらいました。どうやら木製の慰霊碑なので、倒壊もしくは風化して土になったとの事。
もし風化して無くなってしまったのであれば、慰霊碑を訪れるにもタイムリミットが近づいていることです。
管理のできていない慰霊碑はいづれ無くなります。
本当に自分はどうしたいんだろか?自問
慰霊碑のあった場所でお祈りし、丘を下りました。
今回丘を案内してくれたオーナーのリさん、物腰柔らかで良い方でした。お仕事中にも関わらず案内してくれて感謝!
お礼として少しお渡ししました。お酒が好きなようで、「仕事終わりにトゥバ(現地のココナッツワイン)でも飲んで」と言うと笑っていました。
慰霊碑巡りをしていても、現地の乗り物や現地の人たちとの関わりがあって、旅に近いものに感じます。
たくさんの人に甘えて、優しくしてもらって、お世話になりました!
それに、慰霊碑は日本人だけの事では無いのですね。
もっと慰霊碑に深く関わりを持つには、巡るだけでは足りないように感じます。
慰霊碑のある地域やコミュニティーに関わっていくことも必要かと思います。
その為にも、もっとレイテに関わる人との繋がりを持ちたいですね。
最終日3日目は玉砕の地カンギポットヘ登ります。