タクロバン空港から日帰りで巡るコースをご紹介します。

●タクロバン・パロ市内

●ドュラグ・ブラウエン

●リモン峠

※記載している所用時間はあくまで目安です

 


タクロバン・パロ市内

タクロバン空港

⇨20分/タクシー⇨マッカーサーランディングメモリアルパーク

⇨20分/トライシクル⇨日米豪碑の慰霊碑

⇨1時間/トライシクル⇨平和記念碑マドンナ・オブ・ジャパン

⇨50分/トライシクル⇨タクロバン空港

 


ドュラグ・ブラウエン

※日帰りでも周れるがタクロバン市内での1泊を推奨します

タクロバン空港

⇨30分/タクシー⇨タクロバン・ニューバスターミナル

⇨1時間/ドュラグ行きバン⇨HILL120

⇨5分/ドュラグ行きバン・ジプニー⇨ドュラグ市街地⇨10分/ブラウエン・フリータ行きトライシクル⇨Capt. Isao Yamazoe Shrine

⇨30分/ブラウエン行きトライシクル⇨ブラウエン市街地 [昼食]⇨5分/ダガミ行きトライシクル⇨平和の碑・平和の塔・第一一四飛行場大隊終焉の地

⇨1時間/タクロバン行きバス⇨ロビンソンモール(タクロバン)

⇨30分/タクシー⇨タクロバン空港

 


リモン峠

タクロバン空港

⇨30分/タクシー⇨タクロバン・ニューバスターミナル

⇨1時間20分/オルモック行きバン⇨ブレイクネックリッジ

⇨1時間20分/タクロバン行きバン⇨ロビンソンモール(タクロバン)

⇨30分/タクシー⇨タクロバン空港

 

 


 

フィリピン・レイテ島 > レイテ島慰霊碑巡り・モデルコース

 

「レイテ島慰霊碑巡りモデルコース -日帰り-」への7件のフィードバック

  1. 山上様、東京在住の永瀬と申します。戦没者慰霊碑巡りのウェブサイト拝見させて頂いております。私の祖父が太平洋戦争でレイテ島のカンギポット山周辺で戦死した関係で慰霊の旅を来年春頃に予定しています。そこで教えていただきたいことがあるのですが、スケジュールについて会社勤めということもあり、長期の滞在は困難な状況にあるため、3〜4泊で計画しています。マニラからは国内線でタクロバンへ向かい、そこからはバスかバンでオルモック を目指して移動を考えおり、途中カンギポット山付近に寄りたいと思っています。初日はタグロバンに宿泊し、最終日は日本帰国の関係もあり、マニラ宿泊を予定していますので実質レイテ島の滞在は初日を含め2〜3泊となります。このスケジュールでカンギポット山への頂上を目指すことは可能でしょうか。移動、宿泊、日程などアドバイスを頂ければ幸いです。マニラへは仕事やプライベートで数回程度の渡航経験はあります。最後になりますが、現在は仕事の関係で東京へ赴任していますが自宅は岡山県倉敷市で今年7月の西日本豪雨災害では山上さんが真備町の復旧ボランティアへも参加された記事を拝見しました。私自身の自宅は幸い災害の被害はない地域でしたが、この度の復旧へのご支援に感謝申し上げます。 永瀬 秀樹

    1. 永瀬様
      コメントありがとうございます、戦没者慰霊碑巡り 山上です。

      カンギポット周辺で亡くなられたのですね。
      レイテ島で私が確認できた慰霊碑の中でもカンギポット周辺は交通の便が悪いですが、レイテ島に2泊の短期滞在でもカンギポット山へ向かうのは可能だと思います。
      しかし頂上までには滑落の危険箇所もあり、山頂への登山はお勧めできません。カンギポット山についての記事(カンギポット山へ登るには)に登山中の動画がありますので、一度ご覧いただいた上での判断をお願いいたします。
      また、麓の村にある慰霊碑(世界平和慰霊公園の碑)からもカンギポット山はよく見えます。

      タクロバンからカンギポットへ向かうこともできますが、レイテ島に3泊滞在できるようでしたらオルモックからのアクセスをお勧めします。タクロバンと比べビリヤバへのバスの便数が多いことや、移動時間が短い為。
      ###3泊のスケジュール###
      1日目:移動日(タクロバン泊)、2日目:タクロバンからオルモックへ移動・途中の慰霊碑へ訪問(オルモック泊)、3日目:カンギポットへ(オルモック泊)、4日目:オルモックからタクロバン・マニラへ移動(マニラ泊)
      ###2泊のスケジュール###
      1日目:移動日(タクロバン泊)、2日目:カンギポットへ(タクロバン泊)、3日目:タクロバンからマニラへ移動(マニラ泊)
      ###
      帰国便の到着時間を気にされないようでしたら、タクロバンを早朝出発しマニラ経由で当日日本へ帰国することも可能です。
      荷物をホテルに預けるとすれば、このスケジュールが良いと思いますがいかがでしょうか。カンギポット以外の所縁の場所を訪れるには、3泊の滞在が良いと思います。
      こちらのコメント欄または メール(info@japan-warmemorial.com)にてご連絡ください。

      私は2回しかボランティアに参加できませんでしたが、どちらも岡山の方々にとても優しくしていただきました。
      こちらこそ、ありがとうございました。

      戦没者慰霊碑巡り 山上
      info@japan-warmemorial.com

  2. 山上様、ご丁寧に返信を頂きまして有難うございます。私自身がコメント欄の記入箇所を十分把握できておらず、早速ご回答頂いていたにも関わらず返信が遅れたことをお詫びいたします。アドバイス頂きましたカンギポット山への登山の動画も拝見しましたが、かなり厳しい登山でしたので登山は諦めて、村の麓の世界平和慰霊公園からカンギポット山に向かって慰霊の予定です。タクロバン周辺の慰霊碑にも参りたいと思っていますので3泊の滞在を予定しています。4月中旬には日本を出発の予定です。この度はご丁寧にご対応頂きまして有難うございます。 永瀬 秀樹

    1. 永瀬 様

      4月は比較的雨の少ない時期ですが、カンギポットやリモン峠など、山間部を訪れる際は特にお気をつけください。
      また、何かございましたらご連絡くださいませ。

      戦没者慰霊碑巡り 山上

  3. 山上様
    早速のご返信ありがとうございます。国際線とホテルは確保しました。十分気をつけてレイテ島を初訪問します。また何か不明な点がありましたご連絡をさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

  4. 父は、第68旅団歩兵第126連隊の中隊長として、昭和20年7月17日レイテ島ビリヤバで戦死したとされております。私は昭和13年から満州で幼少年期を過ごしました。父は陸軍公主嶺学校の教官でした。東北の小さな城下町で生まれ、生きる術を、軍隊に求め、高等小学校を終えると、第2師団歩兵第4連隊に入営し、2師団及び4連隊では人事部や参謀部に在籍し、満州事変やノモンハン事変(小隊長)に参戦したこともあり、公主嶺学校に勤務し、サイパン島奪回兵団として臨時編成された第68旅団に転属しました。第68旅団の戦史を調査すべく、文献を探しましたが、このほど「父たちのレイテ戦記」をまとめつつあります。この間、レイテで戦った元将兵に随行し戦場跡を辿りました。大岡レイテ戦記には記載ない多くのことを見出しました。

  5.  私はレイテ島の遺族です。
     フィリピンで行方不明の方は米軍に収容され、収容所で亡くなった方がいて、米軍は遺骨と名簿を残しておりますので一度確認すると良いでしょう。
    パロ収容所で亡くなった方は約900名おられ、そのうち「ナガセ」姓の方は二人いて、ローマ字記録をカタカナで表記した以下のお二人です。
    ナガセ マサオ
    ナガセ ユジロ
    米軍人が耳から聞こえたまま記録ですので多少ちがいがあるかも知れません。
     私の父の名はこのリストに入っていました。

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