昨日11月17日、バシー海峡戦没者慰霊祭が行われました。
バシー海峡とは、台湾南端からフィリピン北端の島の間の海峡であり、現在でも日本を行き来する船舶にとって重要な航路となっています。大戦時にも、フィリピンを含め南洋方面へ向かう数多くの船舶がこのバシー海峡を通り、そしてアメリカ軍の潜水艦によって撃沈されました。バシー海峡や周辺の海域での戦死者は10万人以上と言われていますが、正確な人数は把握できていません。
2台のバスに分かれ国賓大飯店を出発し、高速鐵道左営駅を経由し台湾南端の猫鼻頭(マオビートー)にある潮音寺へ向かいました。この潮音寺での慰霊祭、猫鼻頭の海岸での献花、そして台湾最南端の鵝鑾鼻(ガランビ)と言う岬へ向かいます。
午前中は快晴でした。
潮音寺での慰霊祭は、来賓の方々の弔辞や、ご遺族を代表し御歳81歳になられる松島氏による弔辞、住職吉田宗利氏による読経の後、参加者全員による焼香が行われました。
慰霊祭終了後に記念撮影をし、猫鼻頭の海岸へバスで移動しました。
正確には岬の先端ではなく、猫鼻頭と鵝鑾鼻の岬の間の湾になっている場所にて献花を行いました。
この湾に多くのご遺体が流れ着いたようで、余りにも数が多く火葬場へ全てを葬るできず、流れ着いた海岸の側で葬られた方が数多くいたようです。
3年前にフィリピン戦について調べていた際にバシー海峡での出来事を知り、今年ようやく来ることができました。
幸いにも親族に戦没した者はおりませんが、一人の日本人として、先の大戦で亡くなられた方々を慰めたい想い。堅苦しくはなく、祖先のお墓に手を合わせる時に近い気持ちです。
バシー海峡で眠る御霊へのお祈りとともに、
「バシー海峡での悲劇を日本の仲間へ広めていく、そして来週からフィリピンへ行き、バシー海峡で戦没された方々の戦友の慰霊へも向かう」とお伝えしました。
献花の後昼食休憩をとり、台湾最南端・バシー海峡に一番近い、鵝鑾鼻の岬へも訪れ手を合わせました。
今回慰霊祭の行われた潮音寺は、台湾の方々によって守られています。
また、海没したご遺骨を、台湾の方々が引き上げようとする動きもあります。こういった事は、日本人が知っておくべき事ではないでしょうか。
そして今回、” バシー海峡戦没者慰霊祭 実行委員会” の若い方々の尽力により、参加した約120名の誰もがバシー海峡で亡くなった方々へ手を合わせることができました。来年は一人ではなく、誰かを連れて参加したいと思います。
ありがとうございました。
また、私は来週台湾を離れフィリピンの慰霊碑を巡ります。
各方面で亡くなられた方々に手を合わせ、皆の記憶からも無くならないよう伝えていくことが使命だと、改めて感じております。
『平和が続くよう先の大戦を忘れず、戦没された方々を忘れてしまわないよう』
慰霊碑巡りの活動を続けてまいります。