クリスマス・ニューイヤーのイベントも終わり、レイテ渡航2つ目の目的慰霊碑巡りへ向かいます。

この日はタクロバンから日帰りで簡単に行けるブラウエンとドュラグの慰霊碑を周ります。

同じみタクロバンにあるバスターミナル、こちらでまずはブラウエン行きのバスに乗ります!

IMG 6747

バスターミナルの前には去年の14日にオープンしたばかりのロビンソンという比較的お高めのショッピングモールがあります(タクロバンではこれが2店舗目)。

旅で必要なものは大体手に入りますし、レストランもあるのでとても便利になりました!

IMG 6751

ブラウエン行きのバスやバンは通常、下の地図のようにタナウアンから海岸を離れ内陸の町ダガミを経由して向かいます。

ダガミにも慰霊碑があるのでダガミにいく際もこのバスに乗りますが、ダガミとブラウエンの間の街道沿いにも慰霊碑があるので、途中下車ですぐ訪れることができます。

このルートのバスやバンがあって便利です。

名称未設定

出発から1時間半ぐらいでブラウエン北部、バランガイ・マグフバスにある3箇所の慰霊碑につきました。



1. 平和の碑 静岡県知事

IMG 6759

ここは前回とほとんど変わりありませんね。変わっているのは慰霊団が訪れるたびに付けている石碑でしょうか、増えています。最近では平成29年9月に来ているみたいです。

IMG 6757

 

2. 平和の塔

IMG 6774

これは前回よりも汚れが目立っているような気がします。あと近くに住んでいる日本人の方の掲示板のようなものがなくなっています。台風でなくなったのか撤去したのか不明です。

 

3. 第一一四飛行場大隊終焉之地

マグフバス小学校の校内にある木製の慰霊碑ですが、根本から傾いています。台風の影響か腐食によるものなのか不明ですが、慰霊碑にも寿命がありいつかはなくなるということです。

IMG 6780

慰霊碑がなくなってしまうのは残念なことですが、異国に慰霊碑を放置したままにするのはどうかと思います。現地の人とどういう交渉をして土地を使わせてもらっているのか、とかはっきり知りたいですね。現地の了解のもとで維持していってほしい。

今回の慰霊碑巡りもまた違った思いに耽るみたいですね。。。ちょうどお昼なのでブラウエンの街で軽く食事を取ることに。

IMG 6781

シューパオ(肉まん)とパンをいただきます。

IMG 6782

このタクロバンでもシューパオを取り扱っているお店が意外と多い!

パン屋やフライドチキンのお店やデパートのフードコートなどなど、、値段は25ペソ(約55円)と少し高め、パンは1つ5ペソ(約12円)でした。

お昼を済ませて、慰霊碑探し。ブラウエン飛行場跡の慰霊碑を探すべく、バユグ飛行場があったとされる場所へ、、、未舗装で泥んこの道を進みます。

IMG 6786

飛行場跡はこのような田んぼやココナッツ・バナナの木に覆われています。

IMG 6789

散策範囲は、前回散策した場所よりも奥へ予想をしました。しかし現地の人も分からないということで、ここではないようです。

以前町役場に聞いた時には、大学裏のこの路地を進むと聞いていましたが、、、情報が必要ですね。

名称未設定

飛行場跡の慰霊碑探しを辞め、ドユラグへ向かいました。

ドゥラグの町の手前には現地の人が建てた CAPT. ISAO YAMASOE SHRINEがあります。

IMG 6798

陸軍大尉山添勇夫氏は日本軍がレイテ島を占領中にドゥラグの守備隊長で、現地の人とも公平で友好的でした。ゲリラとの戦闘で亡くなりましたが、戦後地元住人の手で建てられました。

日本人ではなく現地の人が建てた慰霊碑なので、現地の人からとても信頼されていたのだろうと思います。

レイテ島でも日本軍による略奪や現地住人を殺すことはありましたが、しかし現地の人と良い関係があった場所もあるということも知っておくべきことだと思います。

今でも花が手向けられています。

IMG 6797

ドゥラグ中心部から海の方へ、住宅街の中にメモリアルパークという日本・アメリカ・フィリピンの慰霊碑のある場所に着きます。

ここはレイテの作戦において最初の部隊が上陸した場所と言われています。亡くなったアメリカ兵やフィリピンゲリラの慰霊碑もあります。

IMG 6812

現在は地元の人たちの憩いの場所になっています。ちょうど放課後の時間だったので、子供達がたくさんいました。

一部の子供がアニョハセヨと言って来たので、それ違う韓国語や!と返したら周りの子供が大笑い。今では平和な場所です。

IMG 6814

IMG 6817

ここで戦争があったなんて想像できません。

でもあったんですね。

少し年配の人と酒を飲む時には、戦争の話題になることがあります。

親や祖父の世代の家族が殺されたとの話もあります。だから日本人は悪い奴と思っていたけど、台風ヨランダの時には助けてくれたし、こうして一緒に酒を飲んでていい奴だってわかる。

過去は忘れず、今できることをフィリピンへ貢献していく。

償いではなく共に夢を追って、幸せになる活動が彼らとの繋がり方になるのではないかと思います。

 

 


行き方の説明の中で不明な点がありましたら、コメント欄もしくはinfo@japan-warmemorial.comまでご連絡ください。


今回訪れた慰霊碑への行き方

平和之碑 静岡県知事石川嘉延

平和の塔

第一一四飛行場大隊終焉の地